中興 月舟宗胡   


■中興の祖 月舟宗胡

                            月舟宗胡 頂相

月舟宗胡(姓は原田氏)は、元和四年(1618年)四月五日肥前国(現在の佐賀県)武雄に生まれ、寛永六年(1629年)十一歳の時に真言宗の寺に入り、快義の下に出家したが、十二歳禅門に転じ同国円応寺華嶽宗芸の弟子となり、四ヶ年の間に円覚経一巻、「唐長寿二年(693年)北インド出身の仏陀多羅が唐時代に白馬寺において訳したと伝えられるが、七世紀末ごろ中国で撰述された偽経。完全円満なる仏の大覚のことを云う。禅宗で重視されていた。」を看読して喜びを感ずる。

寛永十年(1633年)十六歳のとき、常陸国(茨城県妻市妻町)多宝院に錫を掛けて精進し、寛永十三年(1636年)二十歳のとき、丹波(京都府亀岡市)瑞巌寺の萬安英種(1649年に宇治興聖寺を再興)を慕って参じ、慶安元年(1648年)三十歳、衆寮に居た際、沙弥が『証道歌』を読むのを耳にし、宗旨を悟了したとされている。翌年、現在の兵庫県三木市にある雲龍寺十世龍珊淳朔和尚夏安居にて立職(首座の任にあたり、修行僧達の筆頭として勤める)慶安四年(1651年)三十三歳、有馬の宅原寺に居を定む。ほぼ同じ頃、近傍の正福寺を兼務する。承応元年(1652年)三十四歳、能登総持寺に瑞世(住職の資格を得ることを云う)拝登する。瑞世後、宅原寺に帰るが、受業師の華嶽の老衰を見舞って武雄に帰り、その際には法兄・松雲融公とともに長崎崇福寺に明僧・道者超元(黄檗宗萬福寺<中国・福建省>、隠元隆gの弟子)を訪ねる。ここを離れてすぐに、加賀(石川県)・東香山大乗寺の白峰玄滴に参じて、依法等を受ける。
明暦元年(1655年)二月朔日、京都所司代・板倉周防守重宗の請に応じて愛知県西尾市の長円寺に住し、留まること十年教化する。

寛文五年(1665年)四十七歳、愛知県岡崎市の龍渓院に輪住す。翌年大阪府泉佐野市の禅徳寺、大阪市天王寺区の興禅寺を開く、寛文十一年(1671年)五十三歳、加賀藩家老本多安房守政長の請を受けて、大乗寺二十六世として入寺する。
その後、清規を復興するなどして、曹洞宗の古規復古運動に尽力する。延宝八年(1680年)秋、六十二歳、大乗寺の主席を嗣卍山に譲り、山城国・宇治田原の古跡禅定寺を再興して平等院末寺天台宗から曹洞宗に改宗する。

元禄九年(1696年)正月十日の暁の頃、禅定寺にて遷化。
世寿七十九歳 法臘六十七歳。

 
                             暁宣ニ老ノ返歌